「ねぇ、キスしたい」
プリーズ KISS ミー
「はぁ?」
あたしがきまぐれにキスしたいだなんて言い出したものだから、つき合って三ヶ月ちょっと経つ彼氏の悠は、珍しくすっとんきょうな声をあげていた。
そりゃぁ、気持ちもわかるけどさ。
したいものはしたい。悠と、チューしたい!
「・・・お前さぁ」
あきれたのか意表をつかれたのか、溜息まじりで悠が言い出す。
あの、あたし、沙良っていうとってもかわいげな名前、あるんだけどなぁー。
まぁ、お前って呼んでくれるようになったのも、つきあってからなんだけど。
「なーに?」
「つきあってから気付いたけど、突拍子もないこと言うよな、本当に突然」
苦笑いながら、悠は言う。
そしてあたしがそうかなぁ、と返すと、そうだってば、と笑って答えた。
あー・・・これこれ。この笑顔。無邪気に顔をくしゃっとさせて。大好きなんだってば。
ほとんどお互いのことも知らずに、はたから見ても自分達から見てもただのクラスメートという関係だったのにも関わらず。
あたしが告白して、OKしてもらってつきあい始めたあたしたちは、本当にゼロからのスタートだったんだ。
あたしは悠の誕生日とか血液型は知ってたけど、他は何も知らないに等しかった。
好きなものも、好きな食べ物も、好きなミュージシャンも知らなくて。
悠だって、あたしのことはなんにも知らなかったみたいなんだ。
お互い好き合ってたのは確かだけどv
だからこの三ヶ月、お互いのこと一歩一歩知っていって、ちょっとづつ距離を縮めて。
もちろん、つき合う前にこんな人だろうなぁと思ってたことと違うところもたくさんあった。
そんなの、当たり前なんだけどさ。
だけど、最近、つき合う前は知らなかった悠が見えてきて、すごくうれしいし、ますます好きになっていく、悠のこと。
だから。
キスしたいんだってば!
「ねー、ねぇ。しようよ。したい、あたし」
今となっては自分と通い慣れた悠の部屋で、あたしはローテーブルの向こう側に座っている悠に、じりじりと近づいていった。
座っている悠の斜め前まで来ると、正座をして手を前について、悠の方へと前屈みになった。
背の高い悠には、ちょうど上目遣いに見えているだろうか。
あぁ、もうこんなことまで計算して、あたし、いやな女だな。
じっと悠の顔を見つめていると、悠はまたあきれたように笑った。
そして、淡々とこう言った。
「うん、いいよ。はい、目ぇつむって」
え。
こんなに簡単に、あたしの初めてのチュー、つまりファーストキスが成立しようとしてる。
なんか予想外の展開だな、最近わかった悠の性格からして、照れてるけどそれを隠しながら、やだよ、とかいじわるに言うはずだと予想してたのに。
こんなあっけらかんとあたしのわがまま聞いてくれるなんて。
でお、どうしよう、ホントに初めてのチューだ。
うぅ・・・緊張してきちゃった。
ま、あたしは目をつむってればいいだけだし。
悠に言われるまま、あたしは目をきゅっと閉じる。
あぁ、あたしの目つむった顔、不細工だろうか。
自分の目つむった顔なんて、見たことないしな。
くそ、今日のデートの前に写メでも撮って確認しておくんだった。
そして、ちょっとだけ待った。
??
あれー、なんか予想以上に待つ時間、長いような。
あ、悠も緊張してるのかも。
きっと悠だって初めてだし。
・・・。
・・・・・・・・。
ちょっと!
遅すぎ!
えー?どうしたんだろ、悠。
ちょっと悠のことが心配になって、閉じていた瞼をあげる。
と。
悠はあたしの顔なんて見もしないで、さっきまで読んでいたジャンプをまた読んでいた。
だっ・・・騙されたぁぁぁぁ!!
「ちょっ、悠!するんじゃないの?」
あたしが悲しみと怒りを織り交ぜたような声で訴えると、悠は静かにジャンプから目を上げて、あたしの顔を見た。
「あー、やっぱやめた」
・・・・こっ、この野郎〜〜!!
あたしがどんだけ緊張して待っていたと思うんだ!
乙女の気持ちを踏みにじりやがって!
っていうか。
もしかして、あたしとチューすんの、いやなのかも。
告白されたけどクラスで気まずくなるのがいやで、仕方なくOKしたとか・・・。
あぁ・・・それじゃ、チューなんてできないよね、好きでもない子になんか、するわけないよ。
でも、ダメだ、このままじゃ。悠があたしのこと好きなんじゃないなら、つきあってるなんて悠にもあたしにもよくない。
そんなことを珍しく速く回転する自分の決して豊ではない脳みそで考えたあたしは、正直に言う。
「ねぇ、悠。あたしのこと、好きじゃないの?」
すると、悠は直ぐさまジャンプから顔をあげて、あたしの顔を見た。
おっ。なんか予想外の反応だ。うれしい。
「なんで?」
「チューしたくないんでしょ?」
「あぁー、そういうんじゃ、なくて」
そのあと、照れるから、という言葉が続くのかなとかうっすら思ったけど、その言葉は続かず、悠は黙った。
ここで引き下がるわけにはいかない!
「なんでぇー?」
「いや、ほら、ムードないじゃん」
「ムードとか気にするんだ?」
「まぁ、そりゃ。だって、沙良、初めてでしょ?」
「うん」
「じゃぁもっとステキーなファーストキスしましょう」
それもそうか、と丸め込まれそうになる。
ちょっと待って、彼氏の部屋って十分ムードあるよな気がするけど。
「じゃぁさ、どんなのがムードあるの?」
「・・・えー、なんだろ」
「映画とか、ドラマとかは?参考になるかな?」
「どんなのがあったっけ」
なんか変な展開になってきたけど、とりあえず悠が提案した映画やドラマのキスシーンを思い出してみる。
代表的な、というかあたしが好きな映画とかドラマは、どんなキスシーンがあっただろうか。
「沙良、この間『いま、会いにゆきます』みてすごく泣いたって言ってたじゃん。あれは?」
「あれはねぇ、思い出の森でたくみさんが澪に、『澪、キスしてもいいかな?』って言うの!あのシーンよかったなー」
一人思い出して、にやにやしてしまう。
そうそう、この間家でDVD観て・・・かなりよかったなぁ。すごく泣けた。
あんなキス、してみたいっ。
もしかしたら、再現してくれるかも、悠。
あたしが、そんな淡い期待をしていたら。
「だめ。それ却下」
悠が、あたしの胸中を察しておもしろがってるかのようにそう、きっぱりと言った。
・・・えぇ!?
「なんでー!?」
「やだよ、それ俺がしたいみたいじゃん。それにたくみさんとやらは俺とはキャラが全然違う」
「うぅ・・・」
実際悠が言ってることが理不尽でも、あたしは簡単に丸め込まれてしまう。
なんか、言い返せないように言ってくるんだよな、悠ってば。
しょうがない、他の映画とかドラマ・・・。
「あ、『世界の中心で、愛を叫ぶ』は?」
「それはダメ、朔ちゃんとアキはちゃんとキスしてないの。アキが入院してて無菌室に入ってるとき、無菌室のビニール越しにしたの」
「じゃ、『プライド』は?」
「ハルがアキにキスしようとしたらアキが怖がったから、ハルが唇じゃなくてアキの瞼にしたんだ。キムタクかっこよかったなぁ〜」
「・・・ていうか、全然ダメじゃん、映画とかドラマ」
・・・確かに。
ていうか映画やドラマのキスシーンなんて、日常生活で自然に起こらないようなシチュエーションの中にあるんだから、実現しようなんて最初から無理な話だったかもしれない。
こんなんだと、悠とキスできない!
「いいじゃん、俺らは俺らでさー、ゆっくりと、成り行きにまかせれば」
しまいには、悠がこんなことを言い出してしまう。
やだやだ、キスしたいってば!
なんか、手軽にムードが作れる場所・・・。
キスって言えば、夕焼けをバックに海辺でとか、夜景が見えるとことか・・・夜景?
そうだ、今の時間外はちょうど暗くなって、今日は快晴だったからきっと空にはたくさん星が見えていてきれいなはず。高い所に行けば、街の証明や道路に車のライトが流れている様子だって見える。
ここは13階建てマンションの、205号室、山下家の悠の部屋。
これだっ!
「悠っ、屋上行こう、屋上!」
「はぁ?」
「きれー」
「てかさみいよ」
悠の手を引っ張って、エレベーターで屋上へ。
案の定、悠のマンションの屋上からは、満天の星空+眼下に広がる街の夜景。
上も下もキラキラ光が瞬いて、すごくきれい・・・ムードありげだ、なんか。
「・・・お前、がんばるなぁ」
「だって悠がムードムードって言うから」
隣で悠が屋上を取り囲む柵に、腕を組み乗せて言う。
悠も顔を上げ、特別きれいな星空を眺めていた。
「沙良、あれ、オリオン座」
しばらく二人とも黙って夜景や星空を見ていると、悠が夜空を指さしそう言った。
あたしは悠の長くて綺麗な指の差す方向へと視線を向ける。
「あー、あの、砂時計みたいなの?」
「そうそう。冬の星座」
「へー・・・割とはっきり見えるんだぁ・・・」
二人の視線の先には、砂時計の形みたいな、オリオン座。
オリオンって、確か人の名前だったっけ・・・オリオン座は、オリオンの胴体だっけか。
なんで昔の人はわざわざオリオンの胴体にしたんだろう。
別に簡単に簡潔に、『砂時計座』でいいではないか。
「ねぇ、オリオン座、『砂時計座』に改名しよ」
「は?」
「オリオン座より、砂時計座の方がわかりやすいしょ?」
「・・・お前、本当に突拍子もないこと言うな」
ま、いっか、と言って、悠はまた笑った。
あたしたちは、砂時計みたいにひっくり返して時間が経てば、簡単に流れてしまうのだろうか。
落とせば、簡単に割れてしまうのかなぁ。
上から下に流れるだけだったら、まだ同じ場所にいるから探し出せばいいけど、割れてしまったら砂がこぼれてバラバラになる。もう二度と、元には戻れない。
・・・割れちゃうの、やだなぁ。
今、ずっと、悠と一緒にいたいって思ってるのは、あたしだけなんだろうか。
一緒にいて、一緒の時間を過ごしてるのに、ずっと一緒にいたいって思うのも、キスしたいって思うのも、あたしだけなんだろうか。
きれいな星空の下で、静かにそう思って。
少しだけ、切なくなった。胸が、ぎゅって締め付けられるってこんな感じなんだ。
片想いの時は、両想いの人っていいなって思ってたけど。
両想いも両想いなりに、結構悩みがあるもんだ。
「沙良、キスすんの?」
悠は、星空から目を離さず言った。
あ。そう言えば。キスするためにここに来たんじゃん。
でも、こう改まってキスとか・・・なんか恥ずかしくなってきた。
あたしだけキスキス騒いで、馬鹿みたいだったな。
別に、いっか。今日じゃなくても。時間だって機会だって、まだまだあるだろうし。
「いいや。なんか、恥ずかしくなってきた」
「なんだよー、ここまで来たのに。じゃ、帰るぞ。さむい」
「うん!」
あたしが返事をすると、悠は踵を返しすぐに出入り口の方向へと歩き始めた。
あたしはもう一度、この夜空を仰いで。
―――――砂時計座を、来年も、その先も、悠と一緒に見られますように。
そんなことを、静かにだけど切実に、願った。
それまでに、悠とキスできてますように、なんてことも、少なからず願い。
先を歩く悠を小走りで追いかけて、隣を歩き始めた。
「悠、あたしお腹減ったー」
いつものリズムで、そう言ったら。
目の前に見えていたはずの、屋上の出入り口は見えなくなって、代わりにピントが合わないほど近くに何かがあった。
そして、唇に当たる、柔らかいものと、左頬に感じる、少し冷たいけど、やっぱり温かいもの。
すぐに気付く。これって、キ―――
ス、って頭ん中に浮かぶ前に、目の前に大好きな悠の、大きな背中。
「さ、帰るぞ」
そう言って悠は、振り向かないままポケットに手を突っ込み、すたすたと、何事もなかったかのようにとドアを開け、あたしの目の前を歩いていく。
い、い、今・・・まさか・・・キスされたー!?
やられた!不意打ちなんてずるいぞ!てか今全然味わえなかったキスを!あたしのファーストキスを!最初で最後のファーストキスを!
「ちょっと!悠!何今の!」
「何言ってんだよ、お前がさっきまで騒いでたキスだよ」
そーゆんじゃなくて!
end
noveltop