amour methode 15
1,
夜、お皿を洗う前に、ココアを作る。
お湯で入れるココアじゃなくて、牛乳を鍋で沸かして、本格的なココアを作る。
牛乳を沸かしている間に、ココアの粉もちょっとのお湯でよく練っておくんだ。
そして、沸いた牛乳を入れてよく混ぜて。
ココアの準備が整ったら、お皿を洗い始める。
お皿を全て洗い終わった頃には、ココアは丁度いい温度まで冷めていて、今日もお疲れさま、という自分への労りの気持ちを込めて、飲む。
ゆっくり、ゆっくり、キッチンに、立ったまま。
私はそれが好きで、今日もココアを飲むために、と、家事をこなしていた。
一日の中の、小さな幸せ。
でも、ココアの粉が切れちゃっているときが、一回だけあったんだ。
うっかり、足しのココアを買ってくるのを忘れてしまって。
だから、今日一日がんばった自分への、ご褒美を得ることができなくて。
しかしどうしようもないから、その日はしぶしぶココアを我慢した。
次の日ちゃんと、切れてしまったココアを買ってきて、いつものようにお皿を洗う前に作って、ご褒美として、飲んだ。
今まで飲んだココアの中で、そのココアが、一番おいしかった気がする、そう、今でも思う。
それからは、もうココアを切らすことはなかった。
一回経験したことは、あとに生かさなきゃ、そう思って、足しのココアは一袋、いつでもキッチンの棚に入っている。
その袋を開けて容器に移すたび、また新しいものを買ってきて棚に入れておく。
こうすれば、絶対に切れることはないから。
ココアも、人も、愛も。
なくしてしまってから、大切なことに気付く。
ゆらゆら揺れ動いている幸せも、なくしてしまってから、その不安定さを恨むんだ。
いつでも隣にいる死も、実際にそばに感じてから、その存在が近すぎる恐ろしさに気付くんだ。
ココアはスーパーに売ってる。
切れてしまったら、ちょっと自転車を走らせて、近所のスーパーへ行けばすぐに手に入るんだ。
それからは、切れてしまわないように、予備のココアを、棚に大切にしまっておける。
でもね、人も愛も、幸せも。
すぐそこのスーパーでは、売ってはいない。
棚にしまってはおけないんだ、そもそも予備なんて、ないんだもの。
ねぇ、リョウ。
今、すごく、あなたに会いたい。
まず、結論から言うと。
学校公認のカップルが、同じクラスになんて、なることはないんだ。
同じクラスにしてさ、クラス内でイチャイチャイチャイチャされたら、クラスメートはたまったもんじゃない。
私がもし、クラスメート側だったら、そんなそいつらの観察日記つけてやりたいぐらいだ。
だから私たち二人が同じクラスになる、そんなことなんてありっこないよね、そう笑い合っていたんだ、私たちは。
今まで違うクラスだったけど、それで困ることは全然なかったし、ましてや私たちの仲に何かが起きるだなんて事もなかったわけで。
同じクラスになりたい、なんて結果のわかっている願い事は、二人ともしていなかったんだ。
でもさ。
「おー、すげー」
「……あんたむしろ何者だよ」
本気で私たち、運命的なんじゃないかって思えてくる。
春、私たちは中学3年生になった。
桜咲き乱れる心地よい春風に包まれながらも、ドキドキしながら掲示板へと向かう。
そう、三年生新クラスの、クラス構成が書かれた紙が貼ってある掲示板へと。
心底、花粉症じゃなくてよかったなぁ、と痛感しながら。
「あー、同じクラスになれるかな」
私の隣で、合わせているわけでもなく私と同じ歩幅で歩く髪の長い美少女ナナが、期待と不安が入り交じった声で言った。
ナナとは、去年同じクラスで、私にとって人生初めての親友だ。
彼女とは気が合うし、さっぱりとしていて寛容なナナとは、一緒にいて誰よりも楽。
本人には言わないけど、ぶっちゃけ大好きだ、ナナのこと。
私は苦笑いして、その整った顔を見て答える。
「わかんない、仲良い人は違うクラスにするんじゃないかな」
「そうかも……あーぁ、アイと違うクラスになる可能性の方が多いのか」
「しょうがない、運命さ」
「アイ、最近クサイこと言うようになったよ。リョウ君の影響じゃない?」
私の名を呼んで、また突拍子もないことを言うものだから、桜の花弁のじゅうたんと化しているアスファルトから目線をナナの顔に移す。
「え?そう?」
「うん。なんか運命とか、ものすごくリョウ君が言いそうな単語」
さっきからナナが口に出しているリョウというのは、私の恋人のことである。
去年の夏、つまり二年生の夏からつき合っていて、今となっては私の生活の中で欠かせない人物の一人だ。
一年生のときに同じクラスになったリョウに一目惚れ、しかし本人に嫌われているようだったので一回あきらめかけたが、リョウに逆告白をされて。
その間いろんなことがあったがめでたくおつき合い成立、愛し合ってけんかしていろんな壁二人で乗り越えて、今に至るのである。
「確かにリョウの口から『運命』って単語が出てくるの、そんなに珍しいことじゃないかも」
「でしょ?かわいーじゃん、彼氏の口癖うつっちゃっただなんて」
ナナが、私の顔を見ておもしろおかしそうににししと笑う。
その態度に少し反感を覚え、照れ屋の上に負けず嫌いな私は、ナナになんとか対抗しようと頭を働かせる。
そうだ、自分のことを棚にあげるという言葉があるではないか。
「ナナだって、カズの口癖うつってるってば」
そう返した私の言葉に出てきた新しい人物の名前、カズというのはナナの彼氏で、彼らは私たちより一ヶ月遅れでつきあい始めた。
当時のナナは彼氏に浮気され、そのときカズがナナを支えたのがきっかけで二人は惹かれ合い、めでたくおつき合い。
こう聞いてみると割と聞こえ良いものに感じるが、そのときはそれはそれはひどい恋の終わり方をしたのだ、ナナは。
でもカズのような男の子に出会えていて良かったな、と今でも思う。
今となっては、私の恋人リョウとナナの恋人カズは親友で、それ故私たちは四人全員仲が良い。
「え〜?そうかな?」
「みんなうつるんだって、近くに居る人の口癖」
「そっか」
私の言葉に素直に応じるナナ。
私は最近、ナナが素直になったと感じる。
きっと無邪気で率直なカズと一緒にいることで、学び取ったことが多かったのだろう。
始めはそのあまりにも正反対な性格のせいで、対立することが多かったみたいだが、もうちょうどよくお互いの性格の良いところを吸い取って、中和されたようだ。
カズもなんとなくだが、前より心広く寛大で、男らしさが増した感じになってきたようで。
きっとナナの寛容さがうつったのだ。
良いことだな、と一人浸る。
昇降口前の新三年生用の掲示板の前に着くと、そこはあたりまえのように人がごった返していて、人混みがあまり好きじゃない私は思わず眉間にしわが寄る。
今一番気になる紙切れが張られている板は、人山の陰になっていて私の視界には入ってこない。
掲示板の真正面で手を握り合い、きゃーきゃーわーわーと騒ぎながらうさぎのごとく高く跳ね上がってる女ども、その紙切れに用が無くなったのなら早くどいてくれ。私はその紙切れが見たいんだ。
少しだけ待ってやっと人山がはけたころ、やっと紙の形だけが見えてきた。
しかしそれに書いてある最も用のある小さな文字はまだぼやけたまま。
いい加減今だに掲示板の前で騒いでいる女どもに怒りを覚え、ますます眉間のしわが深くなってきたころ。
肩に、何か置かれた感触がした。
それが誰かの手だということは、今まで生きてきた長年の経験からして容易にわかる。
その感覚が、誰かに呼ばれている、ということもわかるわけで。
直ぐさま後ろに振り向くと、私が振り向いたと全く同時に、ほっぺたに鋭く何かが突き当たった。その鋭く細いものは、口内の歯茎と歯に当たって痛い。
そして私はすぐ、その鋭いものが何かということに気付き、しまった、という後悔が頭の中を回る。
「ご機嫌いかがー、アイ」
「・・・・あんしゃのしぇいでしゃいやくやわ」
あんたのせいで最悪だわ、と言ったつもりの私の口は、その鋭く細いもの、もといリョウの人差し指のせいで何を言っているのかわからなくなる。
最近はまっているようだ、この、肩に手を置くが人差し指だけ立てて、相手の振り向きざまに人差し指がほっぺに突き当たる、というくだらない遊びに。
私は幾度となく彼にこの小さな悪戯をされ、しかも学習能力ねぇな、と馬鹿にされたのでこの悪戯には特別警戒していた。
けれど、あの騒いでいる女どもに対する怒りに気を取られ、警戒を解いてしまっていた。
くそ、また馬鹿にされる。
私が怪訝そうな目でリョウを見ると、リョウはうれしそうに笑いながら私の肩から手をどかす。
やっと解放された自分の頬をいたわりそっと撫でながら、まだ機嫌を損ねたような顔をしていた。
本当は、リョウに会えて、とてもうれしくて顔がほころびそうだったのだが。
リョウは、けらけらと笑ってその高い目線を下ろし私の顔を見ながら言う。
「何度も同じことに引っ掛かってくれるから楽しいわ」
「どーせ学習能力ないよ」
「いじけるなよ」
リョウはまだ目を細くしてけらけらと笑っている。
その笑顔に、毎回毎回惚れ直してしまっているのは、永遠に内緒。
ふと隣にいたはずのナナの姿を目で探すと、ナナの方にもカズが来ていて、二人は楽しそうに談笑していた。
まぁ、あっちはあっちでほっといても大丈夫か、といい加減な気持ちが沸いてくる。
これを全て、リョウのせいにしたって偽証罪にはならない。本当のことだから。
「もう、クラス見た?」
リョウは笑うのをやめて、その高い背でさらに背伸びをしながら、掲示板の方を見据える。その様子を見て、ちょっと背、伸びたんじゃないかなぁ、とか思ってたり。
これ以上リョウの身長が伸びたら、私は本気で厚底族にならなければならないかもしれない。
「ううん、まだ。結構待ってるんだけど、前に進めない」
「まぁ人の迷惑考えずに騒いでる奴が必ずいるからな、毎年」
リョウもあまり気持ちよくなさそうな顔をした。
そしてまた、何かおもしろいこと考えついた、というような顔をして、こう、続ける。
「なぁ、あの人たちどいてもらおうぜ」
「どうやって」
「はっきり言えば」
リョウは自信満々ににやりと笑う。
いつだって無邪気なのに、どうしてこう計算高いかな。
リョウはしばらく前で騒いでいる人たちの様子を見ていたが、とうとう意を決した、という表情で、大きく息を吸い、自分の口元を両手で囲む。
そこまで来て、やっとわかった。リョウがやろうとしていることが。
私は焦って、大きく息を吸って今にも叫び出しそうなリョウの二の腕をひっつかみ、一気にこっちに引き寄せた。
リョウは「す」を言いかけたところで止まって私の顔を不満そうに見つめていたが、そんなの今は関係ない、私は勢いを利用してそのまま、人混みから少し離れたところまで引っ張っていく。
「おい、なになに」
こっちの台詞だ、と言いかけ、私は大きく溜息をついた。
「何しようとしてんのよ、目立つじゃん」
「あれ、ばれた?」
「ばれるもなにも、提案したのはリョウでしょ」
きっとリョウは前で騒いでる女の子たちに、どいてくださいだ、すみませんどいてだ、じゃまだどけどけだ……まぁ別に言い回しはどうでもいいが、とにかくはっきりと迷惑してるんだと言って、どいてもらおうとしたのだろう。
そんなことされたら、あの人混みの同級生たちの視線は、一気に私たちのもとに集まってしまう。
おいおい新学期から見せつけんなよ、なんていう視線で見られるのだ。
勘弁してくれ、リョウ。私はそこまで神経図太くない。
「しょうがねぇな、アイは恥ずかしがり屋すぎんだよ。照れ屋だし」
「これは恥ずかしがり屋も照れ屋も関係ないってば。それにあの子たちかわいそうでしょ、こんな人前で注意なんかされたら」
「まぁそれはそうだけど、迷惑してる人たちたくさんいんだろうと思って。」
確かにリョウは体裁とかあまり気にしない人だった。
学校の廊下でも普通に私とおしゃべりするし、二年生のときなんか、二人で文化祭の実行委員をやろうとまで言い出したし。
そういうところも、学べることがたくさんあって、大好きだけどさ。
新学期早々はさすがに神経がもたない気がする。
「アイちゃーん、怒ってんの〜?」
リョウがふざけてからかうように、私の目線まで膝を曲げて、真正面から私の顔をのぞき込んだ。
まるで、小さい子供をあしらうかのように。
「別に、怒ってはないよ」
わざと、少し不機嫌そうな顔をして目をそらすと、リョウはまたけらけらと笑い、その大きな手で私の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「ま、とりあえずクラス見に行こうよ、アイ」
また、笑顔を見せて。
この笑顔に、一生、焦がれ続けるような気がする。
「かんぱーい」
新入生入学式の放課後、なぜか私とリョウ、そしてナナとカズの四人は、リョウの家のリョウの部屋のリョウのテーブルで、ジュースが入っているグラスを手に、乾杯していた。
その理由は。
「しっかし変だよねー、リョウとアイ」
ナナがジュースを口に含みつつ、心底変だ、と感じているような面もちで言う。
確かに私もそう思うよ、だってリョウの運は、とびっきり変なんだもん。
「まさか同じクラスになるなんて、自分たちも思ってなかっただろ」
カズのその言葉に、私とリョウは顔を見合わせてから、合わせてもいないのに同時にこくん、と頷いた。
そうなのだ。同じクラスに、なったのだ。
全く、世の中には不思議なことが起きる。
不思議なことというより、これは他でもない、リョウの強運の仕業としか思えない。
リョウはいつだって運が良いような気がする。今回もきっとリョウのおかげだ。
「まぁ、天才がいるから」
苦笑いしてリョウの方をちらりと見ると、リョウは俺かよ、と笑い返した。
ちなみにナナとカズは別々のクラスになってしまって、ナナは3組、カズは5組。
私たちはその間にあたる4組。
ナナとカズはクラスが分かれてしまったけれど、全く悲しむ様子を見せず、私たちが同じクラスになったことを祝おう、とまで言ってくれたのだ。
ナナに至っては「クラスが分かれた方が、私たちの結束度がわかるでしょ」とまで言い出す至大である。
同じクラスになれたことは喜ぶべきかもしれない。
そりゃ、好きな人と一日中一緒の空間にいられるってのは幸せなことだろう。
しかし私とリョウの関係と立場から言えばそんなこと決してない。
また学年中の先生達からいじめられるだろうか、ていうよりクラスのいじられるターゲットになることは目に見えている。
今年は高校受験もあるし、できるだけ平和に穏和に地味に生活するつもりでいた。
先のことが頭の中をパレードしていたが、なってしまったものはしょうがない、それに前向きに考えろ私。
好きな人と同じクラスだぞ。あれだぞ、修学旅行とか同じ班になれれば最高ではないか。運動会とか合唱コンクールとか文化祭とか一緒に騒げるじゃん。そうじゃんアイ、前向きになれ。
「今絶対、アイの頭ん中はいろんなこと考えてると思うのは俺だけ?」
「目がいってる」
「まぁアイって一人でいろいろと考えるクセあるから」
そんな会話を私以外の3人がしていたのは、全く知らないこと。
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