amour methode 15
3,
転校生、上島アリサが我がクラスにやってきてから、3週間が過ぎる。
「あ、アイちゃーん、これ、先生からアイちゃんにって」
そう言いながら伊藤美咲は私に一枚のプリントを渡す。
満面の笑みで。
彼女のモットーは『オールウェイズ・スマイル』らしい。
「あ、ありがとー」
私も笑顔で返す。
その紙に一通り目を通すと、どうやらこの間出した習字の作品についてのお知らせらしい。
おっ、入賞してる。ラッキー。
とか思いながら、みんなの輪に戻っていったアリサの後ろ姿を見つめた。
あんなに不安がってたのを、今ではおかしく思う。
アリサが来てからの3週間、得に変わったことはない。
アリサは思っていたこととは全く反対の良い奴で、愛想もいいし優しいし、もうみんなにうち解けている。
一番気になっていたリョウとの関係だが、リョウに訊いたところ、やっぱりリョウと彼女は幼なじみ同士らしい。
幼稚園が同じでアリサは卒園する際に彼女は東京に引っ越し、そして8年が経った今、彼女はまたこの田舎町に戻ってきたのである。
その原因は定かではないが、彼女は今まで東京に住んでいたことを鼻に掛ける様子もなく、懐かしそうに緑の多いこの町が好きだ、とまで言う。
そしてリョウと彼女はやはり、よくしゃべる方だった。リョウがクラスの女子とよく話すなんて珍しいことだから、クラスの女子も気になっているみたいだ。
でも気になんてならなかった。リョウは懐かしくて話が弾む、とうれしそうに話していたから、リョウが楽しいんだったらそれでいいかな、と思える。
それに対するやきもちが全くない、と言ったら嘘になるが、私だってクラスの男子はもちろん、比較的男友達が多い方で男の子とはよく話す方なのだ。
たかがアリサ一人とよく話しているからと言ってやきもちを焼いたら、どんな束縛女だという話。
「アイー、英語の宿題の和訳見せて」
リョウが、その写させてもらいたいらしい英語のノートを手に持ち、私の方に駆け寄ってくる。
珍しいな、宿題やり忘れてくるなんて。
「いいよ。珍しいね」
「宿題の存在を忘れたまま寝てもーた」
リョウがやっちまった、という感じで渋い顔をした。
私がかばんから出したノートを手渡すと、サンキュー、と言ってそのまま私の机に座って和訳を写しだす。
最近大会が近いためか、リョウが所属しているサッカー部は練習がハードらしい。
美術部の私は、ほとんどサボり部と化している部活のため、全くハードではない。
コンクールに出す油絵、もう少しで仕上がるし、得に私は部活に関しては気にすることがなかった。
むしろハードだったら、一体どんな活動をしている美術部なのだ、という話。
運動部、大変そうだなと、リョウが一生懸命に写している姿を見て思う。
「リョウ、無理しないでよ。ぶっ倒れても面倒見てやんないからね私は」
「はー?俺が倒れるかよ、アイも絵の描きすぎでぶっ倒れんなよ」
「絵を描きすぎてぶっ倒れるかよ……」
馬鹿みたいな会話をしながら、私の心と脳は安心を覚えていく。
同じクラスになったことで、やきもちを焼くことが多くなった。
同じクラスの女の子とはやっぱり話す機会が多いから、教室内で話している姿を見ているとやっぱりやきもちは焼いてしまう。
今まで、見ることはなかった光景。
何の話をしているんだろう、だとか、リョウや相手の子はどんな気持ちなんだろう、だとか。
私が知ってもしょうがないことなのに、私が知る権利なんかちっともないことなのに、すごく気になってしまう。
実際、リョウが他の女の子と話していると、視線はそちらにいってしまう。
やだなぁ、こんなこと誰かに気付かれたら、嫉妬深い、独占欲の強い女だってばれてしまう。
一番気付かれて困る人は、他でもないリョウなんだけど。
リョウが他の女の子と話しただけで、どうしようもなくやきもちを焼いているなんて彼に知られたら……。
まちがいなくそこを突いて、いじられる。
やだやだ怖い、リョウにいじられるのは好きだけどいやなのだ。矛盾しているけど確かにそうなのだ。
その事でいじってくる分にはまだいい。でもリョウの場合何かと気を遣わせてしまうかもしれない。
小さいことは気にしないけれど、やはりさすがのリョウでも少しはそのことを気にとめるだろう。
そうしたらまた、彼にとって女の子としゃべることがおっくうになってしまうかもしれない。
ダメだダメだ、せっかく性格が丸くなってきて、初対面の人にも笑顔を見せるようになってきたのに。
「ねぇねぇ」
そう話しかけられて、私はまた自分の世界に入っていたことに気付く。
最近、リョウやナナによく言われるんだよな、ものすごい無表情で、一人ひたすら物事を考えるクセがあるって。
またそれが出ていたのかも知れない、心配されたのかも。
ん?という感じで声の方を向くと、そこにはアリサが居た。
相変わらず笑顔である。
「どうしたの?」
「いや、アイちゃんとリョウって仲良いなー、って。もしかして、つき合ってる?」
アリサはそう、これまた美しい顔で問いてくる。
私はその言葉を聞いて、はっとした。少しショックに似たものを感じたんだと思うが。
こんの野郎……!と思いながら、この十分間の短い休み時間で宿題を写し終えなければと必死にペン先を動かしている怒りの矛先を見る。
怒りの矛先はアリサの問いに自分が答えるべきであると気付いたようで、それでもあっけらかんと、次の授業なんだっけ?と訊かれて、英語だよ〜、と答えるときと同じくらいの軽さで、答えたのである。
「あ、言ってなかったっけ?」
頼むリョウ、そういう大切なことはちゃんと言っておいてくれ。
「一に観察、二に観察……」
「三に観察、ですぞ」
ごく普通の、住宅街の一郭に。
怪しい雰囲気を漂わせるゴシック調の、金色のドアノブの付いた重たいドアの向こうには、昼は甘味喫茶、夜はバーになる店がある。
昔は専ら昼間の客だったが、ある日を境に、ここに来るのは夜に変わった。
本当は私、ここにいちゃいけないんだけどね、未成年だし。
でもこの店が好きだった。
そして夜にここにやってくる最大の理由は、夜にしか出会えない、大好きな人がいるからである。
「してるってば」
マスターが入れてくれる特別おいしいココアをすすりながら、私はふて腐れ気味に返事をする。
キヌヨさんは私の様子を不思議に感じたようで、彼女の大好きなカルアミルクを口に運ぶ手を止めた。
マスターも、おや?とでも言い出しそうな顔で私の顔を見たのを、視界の隅に感じた。
「なんでふて腐れてんのよ?アリサって子、いい子だったんでしょ?」
このバーに来るときは仕事帰りで、正にOLの格好をしているキヌヨさんは、その雰囲気も加えてか、いっつも大人っぽい。
大人っぽいって言われてる、私なんか比にならないくらいに。
マスターもさすがの年の功。落ち着いた雰囲気に白髪に口元の白髭。
それでもカクテルを作っているときはかっこよくてサマになっているから、やっぱり昔、若い頃モテていたんじゃないかなぁ、とも思う。すごく、聞き上手だし。
そんな優しくて落ち着いた空間の中に、私はいつも現実逃避をしに来る。
子供っぽい自分の力だけではとても解決できないと思いこんでいる自分のちっぽけな悩みを、相談をしにくるのだ。
相談しているのだからまだ自分に与えられた現実と向き合っているかもしれない。
それでも私はこれは立派な現実逃避だと思う。
だって私は、ただひたすらどうしよう、と言っているだけで、この二人が答えを教えてくれるのだから。
「アリサのことはもう解決したの。今日はリョウがいけないの」
「はぁ〜?珍しいわね、アイがリョウのことで怒るなんて」
確かに珍しいかもしれない。私たちは滅多にお互いのことで怒る事なんてなかった。
……訂正する、正しくは、私はまだ、リョウに対して怒ったことはなかった。
リョウは今まで私に対して怒りを見せたことはない。これまでにリョウが私がした行動で怒りを感じたことがあるかもしれないけれど、それについて私は知らない。
それに、ケンカらしいケンカだってまだしたことない。
でも今回のことはちょっと怒ってしまった。
アリサが、リョウに彼女が……私がいることを、知らなかったのだ。
つまりリョウが、そのことをアリサに言ってなかった、ってことだ。
別にいいじゃないか、と思う、私でも。
でもなんか気に入らなかった。他の誰かに言っていなかったのならいい。アリサに言っていなかったことが気に入らない。
リョウは別に言う必要がないとも思ったのだろうか。
でも普通、あんなに仲良さそうにしゃべっているのなら、お互いの恋愛の話ぐらい出てくるだろう。
それなのに、なんでアリサはこのこと知らなかったのかなぁ、もしかして、言うと何か都合が悪いから、リョウがわざと言わなかったのかな、とか、よからぬことを考えてしまうのだ。
「なーんか、アイらしくないぞ!いつものアイならそんなことあたしに言うまでもなく自分の中であっという間に忘れてんじゃない」
「なんか、いつもと違う。アリサだから」
本当に、リョウとアリサは幼稚園が同じで幼なじみ、ってだけの関係なのだろうか。
他に何か、私にとっては何か友達以上の関係があるような気がしてならない。
それでも幼稚園時代の話だしどーでもいいじゃん!って感じだが、なんか嫌なのだ、アリサだから嫌なのかもしれないけど。
「とりあえず観察して、やばくなったら奪われないようにがんばれ」
「キヌヨさんもう半分他人事じゃん」
「だって他人事だもん」
そう言って頬杖をつき、いたずらな笑みを私に向ける。
あぁ、ダメだ、なんでこの人こんなに無邪気で若いんだろう。
「わかった、とりあえず観察、でしょ?マスターもそう言ってるし」
「ですぞ」
そう言ってマスターも私に向かって短くウインクをする。
どう考えても還暦すぎなのにこの茶目っ気。信じられない。
私は二人の若さに感心しながらも、この風貌は怪しげなバー、グーテン・アーベントを後にした。
「ねぇねぇ、やっぱりアイのファーストキスって、リョウ君なの?」
昼休み、教室でいつものメンバーと話をしていた。
私のクラスもだんだんとグループが出来てきて、私が所属しているグループは結構大所帯の8人グループ。……その中に、なぜか今日はアリサが混ざっていた。
その中でなぜか、恋愛話、通称恋バナをしている傾向にある。
私はひたすら、5時間目の授業の済ませてなかった宿題をやっていたから、いつのまにかこんな話題に移り変わっていたことに驚いた。
気付けば、他のみんなはもうそれぞれの恋愛体験談について話し終わった後のようだ。
くそ、私はみんなの話しを聞いていないのにみんなは私の話もみんなの話しも聞けているのか。自分が悪いけど少し損した気分だ。
「ノーコメントで」
「え〜!?何それ、つまりしたってことじゃん!」
相変わらず中学三年生の女子はテンションが高い。でもそこに私は良さを感じている。
こんなハイテンションでいられるの、若いうちだけだし、許されるのも学生のうちだろうし。
「いいなぁ〜、リョウ君かっこいいしね」
そんなみんなの会話を、愛想笑いでスルー。
そりゃアイツはかっこいいから自慢したいほどだよ、正直。
「そう言えばリョウ君もアイがファーストキスなのかな?」
せわしなく動かしていたペン先が、ぴたっと止まる。
そう言えば、そういうこと訊いたことがないな。
私は正真正銘、あの時の―――遊園地での、リョウとのあのキスが、ファーストキスだけれど。
「んー……わかんない。でもたぶんそうじゃないかな?」
「えー、いいなぁ、そういうの。お互い初めてって、思入れ深いよね。たぶんリョウ君もアイが初めてだって!」
「そうだといいけど……ってヤバッ!!休み時間あと3分しかないじゃん!宿題終わってないし!」
みんなが爆笑している中、私は残りの宿題をやるためにまた、ペン先を走らせる。
「……何よ、それ」
誰かが、そうつぶやいたような気がした。
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