amour methode 15


5,


ざぁざぁの雨の中を、走って、走って、走りまくった。
通い慣れた、その道を。
たどり着いたその場所は、ナナの家でもなく、ましてやリョウの家でもなく。


「――――!アイさん!どうされたんですか」


マスターが私のもとへと歩み寄ってくる。
いつも落ち着いているのに、珍しく早歩き気味で。


「うっ…うっ……マスタぁぁーー!!」


子供みたいに、泣きじゃくった。









いつものカウンター席に座って、いつもの優しい味のするココアをすすっていた。
グーテン・アーベントは、珍しく客が少なくて、私の他に、一組のカップルしかいない。
そんな静かで落ち着いた空間で、私の頭の中は、いろんなことがぐるぐる巡っていた。

マスターは、びっしょびしょにずぶ濡れになった私を見て、すぐにタオルを持ってきてくれた。
雨で重くなった制服が、まだ乾ききってなくて冷たい。髪の毛から、雫が滴り落ちる。
ずぶ濡れになっていることも気にしないで、ただひたすら走ってきた。
何か、すがるものが、ほしかった。

カップルが席を立って、なにやら準備をしている。帰るのだろうか。
案の定、すぐにカップルは勘定をしてあの金色のドアノブをひねり、仲良さそうに帰っていった。
この店には、私とマスターだけになった。
そう言えば、今日はキヌヨさんの姿がない。
残業なのだろうか。


「落ち着きましたか、アイさん」
「うん。ありがとう、マスター」


私は黙ってココアをすすっていた。マスターも黙って、お皿を洗っていたようだった。
いつもそうなんだ、マスターは。
自分からは聞きにいかないで、相手が話し出すのを待ってる。
本当は気になっているんだろうに……常連のガキが、こんな夕立の中をずぶ濡れになってまで自分の店に走ってきたのだから。
だがその態度が、実は優しさ溢れている態度だということが、理解できる。
だから余計、話したくなってしまうのは事実だ。
頬杖をついて、カウンターテーブルの木目模様を見つめながら、そっと口を開く。


「ビンタされたんだ、アリサに」


それだけ言うとさすがのマスター、この一言だけで今私の置かれている状況のほとんどが予想できたらしい。特別驚くような表情を見せず、動きは少しピタリと止まったが……それでも落ち着いて、皿を洗い続ける。
少しだけ沈黙が流れて、マスターがキュッと水を出していた蛇口をひねったあと、その手をタオルで拭きながら、目は合わせないものの……やさしく呼びかけた。


「口の中、切れてませんか?」


その言葉を言い終わると、私の目を優しく見つめて、あのいつものおだやかなほほえみを見せてくれる。
鼻の奥がツーンと唸って、目頭が熱くなる。駄目だ、せっかく落ち着いたのに……。
マスターは私の言葉を待っててくれた。ただ何も言わずに、仕事をゆっくりと終わらしていっているみたいだ。
涙をやっとこらえて、鼻声で、震えた声で、かすれた声で……それでも、マスターにこの悔しさ、焦りさえも、伝えたかった。分かち合いたかった。


「『リョウを、あんたから奪う』だってさ」
「そうですか……」
「今日、アリサと私……本当はアリサじゃなくて違う人だったんだけど、なぜか替わってて、二人で当番で。たぶんアリサが仕組んだんだと思うけど」
「それで二人きりのときに、ということですか」
「うん」


当番、本当は私の後ろの席の優しい地味系の男の子とやるはずだった。だけど今日になって替わっていたのだ、アリサと。
なぜかは知らないが、本人たちにそれなりの理由があってそれを詳しく訊くのも面倒くさかったし、ほっといた。

事は、放課後の教室で……リョウと、アリサと、私がほとんど毎日一緒に過ごしている教室で……起きてしまった。
やっと当番の仕事が終わってさぁ帰ろうかと思ってアリサの顔を見たら、そこにはアリサは居なかった。
いや、正しくは、私たちの知ってる、”いつもの”アリサが、そこにはいなかった。


「ごめん、マスター。あまりにびっくりして、パニック状態になっちゃった。気付いたらここにいた」


私が自嘲しながらそう寂しくいうと、マスターはまた、私の大好きなあのほほえみを浮かべて、


「そんなに、ショックだったんですか?」


とだけ言った。

なにしろ初めてだった。
リョウのことを奪われる、なんて、考えたこともない。夢にも思わない。
以前友達が、リョウのこと狙おうかな、なんて軽いことを言っていたことはあるが、アリサが、あのアリサが、リョウ略奪宣言をしたのだ。

なんでこんなに悲しいんだろう。なんでこんなに悔しいんだろう。なんでこんなに、焦ってるんだろう。

自分でも、わからない。
ただ一発、張り手を食らわされただけではないか。あんなの、ただの脅しに過ぎないではないか。
いつもの私なら、さらっとあんなの、流してしまうじゃないか。「何、馬鹿なこと言ってんの」って、勝手に自分の中で消化してしまうではないか。

それでも。


「マスター、私、ね」
「はい」


あの笑顔を、思い出して。


「絶対、負けたくない」










幸せか、不幸せかは、私次第なわけで。


「班決めしまーす」

「修学旅行、だってさ」
「へー……」


リョウは私の隣で頬杖をついている。私もリョウの隣で頬杖をついている。


「こらー!そこ!やる気なさすぎ!」


そんな声が飛んでくるのも、無理はないかもしれない。






「うーん、じゃくじ引きね。班長はさすがにこっちで決めるけど」


担任がそう言葉を発す。
私たちの学校の修学旅行の行き先は定番通り、京都。
中学三年生の最大イベントと言えば、そりゃ修学旅行なわけで。
私たちの学校はなぜだか、この梅雨に入りかけの季節に、修学旅行に行くのだ。
修学旅行って、中学の一番の思い出になったりする人が割と多いと思う。
それだけ楽しくって、超重要、なんだろうなぁ、と思う。
楽しみだな、結構好きなのだ、ああいう情緒ある町並みとか、仏像とか古い建物とか……一度行ってみたいとは思っていた。


「リョウ、神の力を分けてくれ」
「アイよ、よく聞け、俺が神なら分ける必要はないぞよ」


実に神っぽいが、そういうわけではない。
リョウが私と一緒の班になりたいと思ってくれてるのはわかってる。
前々から騒いでたからね、二人で。
このお寺に行きたいだとか、二人で調べてたりしたのだ、何気なく。

そういうわけで、私が神の力を分けて欲しい最大の理由は。


「え〜?別に私どこでもいから、くじ引くのあとでいいよ〜。このクラスなら、誰と同じになっても楽しそうだしねっ」


あの、きれい事をほざいている悪魔を退治するためである。
リョウとアリサが同じ班になって二人でイチャつきながら、あの情緒あるお寺やきれいな街を見回るなんてことが起きないようにしなければ。
そしてその悪魔は、あのキレイごとを言っておきながら、悪魔に騙されてしまっている周りの子たちの目を盗んで、ぎらりとその艶黒い視線を私に向けるのだ。

ひぃーっ。


「リョウ、もしかしたらのことを考えて分けてくれ」
「しょうがねーな、ちゃんとあとで返せよ」


バカみたいな会話をしているが、私は重々本気である。


「神パワー、注入」


リョウが私の肩をこぶしでトン、と叩く。
するとリョウはまた、私の大好きな笑顔を見せて、注入終了、と言うのだ。
普通の人間が神に力を与えられたら、それは天使になるのだろうか?


「リョウ、私天使になったの?」
「いや、キューピット」
「……キューピットと天使ってどう違うの」
「知らん」

「次ー!ほら!そこのカップル!早くくじを引け!」


担任の先生の言葉がまた飛んでくる。
その言葉でクラス中に笑いの渦が生まれるのだが、その中にあの艶黒い視線を感じるのも確かだ。
気にしないっ、気にしない。

あれから私は極力、アリサには普通に接するようにしてきた。
話しかけられれば話すし、みんなの輪の中に二人が共通して居ることもある。
アリサも私に、今まで通りに普通に接するためだろうか、周りのみんなは私と裏アリサとの接触に全く気付いていない。もとより裏アリサの存在すら、誰一人として知らないのだ。
私はできるだけ、トラブルは避けたかった。
同じクラスの人で、一人でも気まずい関係になってしまうのは、相当痛いことだ。
一年間クラスは変わらない。中学生のクラスと言えば、必ず全員と関わらなければやっていけないイベントが盛りだくさん。
もしクラスの友達に、そんな犬猿の仲のような関係の人が同じクラスにいれば、私はそれなりに気を遣う。
あまり、関わらないようにしてあげないと、かわいそうだ。人にはやっぱり、相性というものがあるのだから。
自分がそう思うのだから、きっと同じ考えの人はいるはず。
早い話、私はクラスのみんなに迷惑をかけたくなかったのだ。
アリサと私の今の複雑な関係……しかも本人たち(少なくとも私は)もはっきりわかっていないこの関係がクラスのみんなに知れたら、みんなに気を遣わせてしまう。

それにまだはっきりアリサがどうしたいのか、どういうつもりなのかわからなかった。
あれからアリサは私にはっきりとはケンカを売ってこない。
でもあの日の出来事は夢じゃない、だってアリサの黒い視線という、以前はなかったものが現れるようになったから。

とにかく、私はこの事件を、私が我慢すればいいだけに収めておきたかった。
私たちの問題は、私たちだけが迷惑すれば十分。
ましてや、大好きな人を……リョウを、巻き込みたくなかった。
幸いなことに、勘の鋭いリョウが私たちの異変に気付いていなかった。
今まで通りアリサともしゃべる。アリサの話を私にする。
それに普通の態度をとってるように演技するの、随分うまくなったような気がするなぁ……、悲しいことだけれど。


私たち二人は相変わらず無表情でクールに、それでも二人仲良く並んで黒板前の教卓の上に置いてある、くじの入った袋に向かう。
大丈夫、神の力は偉大だ。


「せーので取るぞ」


リョウの言葉に、一緒に袋に手を入れる。


「せーのっ」






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